視覚障害がある長澤伸子・松本真澄両氏の現地取材報告です。
改札へ行くために階段とエスカレータがある。それなのに、視覚障害者は階段から点字ブロックを頼っていくと階段を上がるようになっている。単独でエスカレーターまでたどるには、人に声をかけ聞かなくては上がり口が探せない。誰が決めたのですか? 階段がいいと……。
トイレに行くにもトイレが探せない。中途半端はかえって迷う結果になる。トイレまでスムーズにたどり着ける方法はないか、視覚障害者でもある私も考えていきたい。
駅前から誘導ブロックに従って移動する。杖の当たる音がいつもと違う。金属的で、視覚的にも識別しにくい。一瞬、「何かな?」と思う。何でもそうだが、ブロックの素材も統一してほしい。それにしても、私たちはいつも遠回り。日なたぼっこしながらお散歩というわけにはいかない。春3月といっても日陰はまだ寒い。
それにしても、<新しい街なので、さぞ合理的だろう>と期待をしていたが、突然出現するブロック、左右に小刻みに誘導するブロック、不評とされる材質のブロックと、私の評価はかなり低い。コンクリートだらけで足は疲れるし、夏だったら炎天下で暑いだろうなと文句タラタラ…。私にとって「お台場」は、<バリアの多い街>である。
確かに、駅にはエスカレーターがあり、車いす対応のトイレがある。歩道は広いし平坦なところが多かった。しかし、私がバリアを感じたように、車いすの方もどこかでバリアを感じているのではないだろうか。十分に練り上げた結果の街なんですか?
誘導ブロックが敷設されていた。でも道と同じような色になっていたため、色で判別はできなかった。誰もが、利用できる場所のはずどうしたらみんなが安全に歩けるのだろうか。
乗降口の点字ブロックはうれしいが、誘導ブロックに連結しているのが1カ所とは不自然。この誘導をたどるとその先は階段。エレベーターにはどうして誘導していないのですか。この駅には(ホームでは)、エレベーターがないと思ってしまいました。
エレベーターの押しボタンの表示が、ゆりかもめ全体で統一がなされていない。「コンコース、ホーム」、「上、下」のように異なっている。ちょっと不安。
「呼び出し」の押しボタンの位置は、ホームは中央、券売機周辺と、駅ごとの統一はなされているが、その位置を知らなければ使えない。教えてもらってわかった押しボタン。これも、「知っていると使える」の代表の1つ。
歩いていて突然現れた。それまで、誘導ブロックはなかった。けれどここから何かがあるぞという印のためであるなら有効かもしれない。誘導ブロックになれて頼っている視覚障害者にとってはこつぜんと現れると何が何だかわからなくなってしまう。
触地図が、全体の様子を教えてくれた。例えば、ゆりかもめ線はこんなふうに走っていたのか、こんなに広い所なのかなど……。面白い形の建物が、ミニチュアになっていたらなお Good。全体の様子を理解するには十分だが、しかし、触地図をなぜこんな場所に設置したのだろうという疑問がわいてきた。この設置場所もきちんとした公の視覚障害者団体にでも聞いたのだろうか。単独歩行をしている視覚障害者が、ガイド(歩くときに誘導をしてくれる人)なしでこれが、探せるのだろうか?それに、触れる感覚が冷たい。あまりひやっとした感触が、好ましくない。なぜかと言えば点字を読むときは指先が冷たいと読みにくい。だから、せっかくの地図も触れたくない気がしてしまう。
いろいろ言い訳はあります。できる限りのことはしました、相当丁寧にさまざまな検討もしました-触感の区別、表現方法、触感とイメージの関係、凡例のあらわし方、空間把握のしやすさについて等々、オーソリティの方のアドバイスもいただいていますと。
しかし今いえること、一番大事なのは早期の計画と実施方法の検討です。
まだだれも視覚障害の方のニーズをきっちりと把握していないと思います。『あそこに聞けばなんでもわかる』という団体もないように思われます。だから、いろいろ声を拾っていく必要を痛感しています。